枝野 幸男(えだの ゆきお)議員
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政党 | 立憲民主党 | |||
選挙区/肩書 | 衆議院議員・埼玉県5区 | |||
コメント | 許さない!!利権・ばらまき・先送り |
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公式webサイト | 枝野 幸男(えだの ゆきお)議員公式webサイト | |||
経歴 | 1964年(昭和39年) 5月31日、栃木県宇都宮市に生まれる。名前の音「ゆきお」は尾崎行雄ファンの祖父が命名。サラリーマンだった父は勤め先の倒産で失業も経験し、その後、小さな町工場を営む。 中学、高校と合唱部に所属し、中学校ではNHK全国学校音楽コンクール全国大会で優勝。現在も趣味はカラオケ。 東北大学法学部卒業後、24歳で司法試験に合格し、弁護士となる。 1993年(平成5年)日本新党の候補者公募に合格。手作り選挙を貫き、旧埼玉5区から衆議院議員に初当選(29歳)。 1995年(平成7年)から、薬害エイズ問題の真相究明・責任追及に取り組み、翌年、菅直人厚生大臣を支えて謝罪・和解を実現する。 1998年(平成10年)の金融国会で金融再生法を成立させ政策新人類と呼ばれる。 2002年(平成14年)と2006年(平成18年)から2007年(平成19年)の二度にわたって、予算委員会野党筆頭理事を務め、論戦の最前線を取り仕切る。 2002年(平成14年)12月から2004年(平成16年)5月まで、30代で野党第一党の政策調査会長を務め、2003年(平成15年)の総選挙では初めてのマニフェストを取りまとめる。 2004年(平成16年)から2007年(平成19年)まで、民主党憲法調査会長や衆議院憲法調査会会長代理等を務め、立憲主義に基づいた憲法議論をリードする。 2007年(平成19年)に衆議院決算行政監視委員長を、政権交代後の2009年(平成21年)には行政刷新会議「事業仕分け」統括役を務めるなどムダづかい削減の先頭に立ち続け、2010年(平成22年)2月から内閣府特命担当大臣[行政刷新]を6月まで務める。 2010年(平成22年)6月から9月まで与党第一党としては最年少で民主党幹事長を務める。 2011年(平成23年)1月から9月まで現行制度下では最年少で内閣官房長官を務め、東日本大震災、東京電力福島第一原発事故の対応にあたる。この間、内閣府特命担当大臣[沖縄・北方対策]も兼務する。 2011年(平成23年)9月から2012年(平成24年)12月まで経済産業大臣を務める。 現在 衆議院議員(当選7回) 経済産業委員会委員 憲法審査会委員 海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会委員 民主党憲法総合調査会長 民主党埼玉県第5区総支部長 民主党埼玉県総支部連合会常任顧問 文化芸術振興議員連盟副会長 弁護士 聖学院大学総合研究所客員教授 |
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