小松 久子(こまつ ひさこ)議員
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政党 | 諸派 | |||
選挙区/肩書 | 東京都議会議員(杉並区) | |||
コメント | 生活者ネットが提案し杉並で築いてきた「参画と協働」をさらにすすめ、市民が主役の区政をつくっていきます |
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公式webサイト | 小松 久子(こまつ ひさこ)議員公式webサイト | |||
経歴 | 1953年 東京都台東区根岸生まれ 1967年 台東区立台東中学校に在学中、木下順二・作、山本安英の演劇『夕鶴』を観て感激し演劇部活動に熱を上げる。 1969年 都立白鷗高校在学中、女子クラス廃止運動を発案・展開する。翌年、女子クラス廃止は実現。 1971年 高校卒業。建築家をめざし日本女子大学家政学部住居学科入学。 1973年 学業への意欲を喪失する一方、人形劇の可能性に啓発され方向転換。大学を退学。 1973~1976年 人形劇団プークに在籍し、北は稚内から南は鹿児島まで、『青い鳥』のミチル、斎藤隆介・作『ゆき』のトンボ役などを演じて全国巡演の旅の生活を送る。75年、ベトナム戦争終結を公演で訪れていた福岡市で迎える。 1977~1985年 息子3人の子育てに追われるなか、洋裁に明け暮れ子ども服からスーツ・コート、カーテンまで手づくりする。学校のPTA活動をとおして子どもを取りまく社会問題に触発され、ミニコミを発行する。 1986~1992年 夫の転勤により家族でニューヨーク郊外に居住。現地校のPTA役員や町の図書館ボランティアなど市民活動を経験する。オペラと「出会い」、メトロポリタン・オペラ通いに加えて声楽家のもとでモーツァルトやプッチーニのアリア・歌曲の練習に励む。 1992年 保谷市(当時)に居を移し朗読、手話のサークル活動に参加するほか、合唱団員としてサントリーホールや芸術劇場の舞台を踏む。生活クラブ生協に加入し食の問題に目覚める。 1995年 杉並区に転居。生活クラブ生協の活動にはまる。 1997年 都議2期目に挑む藤田愛子の選挙を手伝う。初めての選挙活動経験となる。 1998年 北東京生活クラブ生協の理事になり、生協活動にさらにのめり込む。 2002年 生活者ネットワークのメンバーとして03年区議選への挑戦を決意する。 2003年 区議会議員選挙で初当選 2007年 区議会議員選挙で2期目当選 2011年 区議会議員選挙で3期目当選 |
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