平 将明(たいら まさあき)議員
![]() |
||||
|
||||
政党 | 自由民主党 | |||
選挙区/肩書 | 衆議院議員・東京都4区 | |||
コメント | 閉塞感を打ち破れ!! |
|||
公式webサイト | 平 将明(たいら まさあき)議員公式webサイト | |||
経歴 | 2月21日 東京都で生まれる。 1979年 早稲田実業学校中等部入学、同高等部を経て、 1985年 早稲田大学法学部入学、89年卒業。ゼミは刑法。 ※スポーツは中学から大学までバドミントン、高校では部長、大学時代は共立薬科大学バドミントン部でコーチを務める。 1991年 サラリーマン生活を経て、家業である大田青果市場の仲卸『山邦』に入社、 1996年 3代目として後を継ぎ、社長就任。バブル崩壊、金融危機、貸し渋り・貸し剥がしの嵐が吹き荒れるなか、中小企業の経営に取り組む。特に取引金融機関のメイン、準メインが相次いで破綻し、資金繰りに奔走。国の金融政策や銀行の横並び体質に大いに疑問を感じる。 同年 社団法人東京青年会議所(東京JC)に入会。 2000年 東京JC大田区委員会委員長、衆議院議員選挙の公開討論会を東京4区で初めて開催。また、蒲田地区の活性化にむけた企画を実施。 2001年 東京JC国際政策担当理事として 日韓産業技術協力財団主催の次世代オピニオンリーダー訪韓団に参画。韓国のオピニオンリーダーたちと教科書問題をはじめとする、2国間での懸案事項について激論を交わす。さらに中国の中華全国青年連合会と共同で、環境保護を目的とした日中青年による植林事業を立ち上げ、継続的な活動として運営を始める。また、羽田空港の国際化を実現するための活動を実施、気軽に国際交流都民の会会長として、国際チャーター便の解禁を働きかけ、法改正に合わせて羽田空港からハワイへチャーター便を飛ばす。 2002年 東京JC副理事長、APECヤングリーダーズフォーラム日本代表を務め、メキシコのモントレーで開催された国際会議において、民間主導によるアジア地域の連携強化の必要性をアピール。 2003年 東京JC理事長、東京23区内のすべての小選挙区で衆議院議員選挙の公開討論会を開催。開かれた選挙、わかりやすい選挙の実現に向けての活動を行う。 2005年 中小企業経営と銀行設立の経験を活かし、経済産業省産業構造審議会基本政策部会民間委員に就任。日本の中長期的経済成長政策立案に参画。 同年8月17日 43倍の公募の競争を経て、自民党公認候補となり、衆議院議員選挙に出馬。 同年9月11日 東京4区の前職であった候補者を、比例代表による復活当選をさせないほどの大差で破り、約12万票を獲得して初当選。 2009年 二期目の衆議院総選挙で小選挙区では僅差で敗れるも、東京比例区第二位で当選。石破政調会長の下、自民党経済産業部会長に抜擢。衆議院経済産業委員会理事就任。 さらに党経済成長戦略特命委員会(塩崎恭久委員長)の事務局長として経済成長戦略策定に参画。 2010年 経済産業部会長として夏の参議院議員選挙のマニフェストの経済政策を担当。 自民党が新たに設置したシャドウキャビネット(影の内閣)行政改革・公務員制度改革担当副大臣に就任。衆議院決算行政監視委員会理事就任。 2011年 衆議院決算行政監視委員会の理事として、同委員会において、国会版事業仕分けを仕掛ける。 2012年 衆議院議員二期目で党情報調査局長(役員会構成メンバー)に就任。野党時代の役員会構成メンバーとはいえ異例のスピードと言われる。 12月16日の衆議院総選挙では小選挙区で当選(他党の前職議員の比例区復活を許さず)、三期目に突入。安倍内閣において経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官を拝命。 2013年 経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官を退任し、10月4日、自由民主党副幹事長兼情報調査局長(情報調査局長就任は二度目だが与党になってからは初の拝命)に就任。 |
平 将明(たいら まさあき)議員のみんなの評価
※5段階評価です。★を選択することで評価できます。
この議員へコメントは会員ログインが必要です
コメントは会員機能です。すでに会員の方は こちらから ログインして下さい
会員登録していない方はこちらから 新規会員登録できます。(無料です)